意識に関する2つの問

1. 感情と理性は、明確に区別されるものでありながら、けっして対立するものではないのはなぜなのか?
2. 人間が思考する感情の生き物であり、なおかつ感情を持つ思考の生き物でもあるのはなぜなのか?
記事中だと2つの問となっているが、実質同じ問だと私は思っていて。
結局のところ、脳の構造に起因する。
元々は爬虫類脳と言われる、小脳だけの生き物が主で、恐竜文化が栄えた。
爬虫類で体が大きくなった、そういう時期があった。滅んだ。
爬虫類脳で体だけが大きくても滅ぶと分かった。戦略を変えた。
小脳を覆うように大脳を発達させていった。今も試行錯誤中。
大脳を発達させていった結果、手が発達して、道具が使えるようになり、二足歩行になっていった。
道具も、大脳の発達に伴って、進化していった。 土器が分かりやすいと思う。 発展途上は言語系で、自己規定を含む循環系の矛盾をなかなか取り除けない。
落雷による火の使用も、文明の発達を加速させた。 拝火教という形で残っている。 ギリシャ神話だとプロメテウスがゼウスに逆らう形で人に伝えた。雷神にして、人間にとっての知恵の神。
小脳が本能的、感情的であるのに対し、それを覆うように大脳が発達して、戦略的になったはずだった。 文字を使って、体外に情報を出し、共有できるようにした。 文字記号、言語系の発達が不十分で、言霊が精神病となっているのが現状の説明に近くて。
言語、言葉の遣い方が悪くなっていて、仏教の正言に至らないレベルに落ちてる。
私は言語系の発達を促すために、日本語のバージョンアップを考えていて。 これは、バベルの塔以前を再現させることとは異なっていて。 第二言語として獲得容易な日本語をイメージしている。
diamond.jp/articles/-/307719
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