論点にズレがあるように思える

スイスのブランド時計OMEGA
そのパロディとして?時計の会社?でOMECO

OMECOの商標登録に関する訴訟

商標って何だっけ?

会社名?会社のロゴマーク?会社の製品のロゴマーク?会社の商品のロゴマーク?

会社名、会社のロゴマークなら、問題なく思える。勝手に卑猥な会社名に取られようが、持論を展開すればいい。持論にも一理あると思える。

会社の製品、商品のロゴマークなら、OMEGAのブランドイメージを傷つける、中傷行為として、訴訟の勝者をOMEGAにする。
同じ製品、商品カテゴリで、パロディ、ジョーク、冗談として卑猥なイメージの強い商売をする。それは侮辱に思える。
仮に本気で卑猥なイメージを払拭したいなら、パロディではなくオマージュという単語を使うだろう。

パロディもオマージュも、元ネタとなるものがある。
オマージュ(フランス語)は、元ネタに対して尊敬だったり、良い影響を受けていると明示的である。
パロディ(英語)には、あくまで元ネタがあるとしか伝わらなくて。元ネタに対してどういう作品になっているか?は、作者、作品、読者の3つに依存する。
パロディでも元ネタが明示されているのはまだマシな方で。作者への影響が良かろうが悪かろうが、元ネタに対する貢献ができる。

元ネタが明示されていないパロディも2パターンあって。
元ネタがあるけど意図的に記載しない盗作と、本当に意図せず作品が似た、元ネタと言われる作品を知らない、純粋な作品があり得て。
後者は、元ネタと言われる作品を知らないから、盗作かと尋ねられても「知らない」としか答えられず、嘘にならない。盗作とは異なる。

マンガの場合、元ネタとして、原作(シナリオ、ストーリー展開)、作画(絵柄、コマ割り等ビジュアル関連)がある。
盗作として問題になるのは、何を盗んだ時になる?それ以前に、盗まれたと判断し、損をしていると訴えを起こすのは誰になり、それを受けて裁判所はどういう基準で判断するんだ?

売れているマンガ作家たちと売れないマンガ作家の違い?
時流の掴み方、マンガ作品への思い入れや良い作品を作りたいという創意工夫、創意工夫を継続できる才能?

天才を定義するなら、創意工夫を継続できる、継続するために何らかの工夫をしているか、自然と継続できてしまう人だと言えて。
経済的成功とは独立していて。
経済的成功を得る方が、天才でいることを継続することが難しくなるのだと思う。

私は経済的成功を目指していなくて。
生活できるだけの収入を得られれば良くて。
経済的成功をしてより大きな貢献を目指すことも出来るけど、あまり望まなくて。
経済的成功すると、メディアへの露出を要求される。教えることは構わないが、メディアへの露出は不自由を得ることに繋がっていて。

経済的成功をしてメディアに出ないことも可能だけど、無名な成功者の教えに興味を持つ人は少なく。
本当に無名な成功者があり得るのか、怪しくて。
逆に、成功者を語る似非成功者もあり得て。
情報商材の難しさは、その辺りにあって。

情報の価値は、誰が決める?どうやって決める?

現状、情報商材は作者の都合で値段が決められている。
返金制度を設けているのは良心的だが、作者が不利益を被りやすい。
商法的には返金義務さえなく、消費者が泣き寝入りするしかない。

そもそも、情報は無料、freeと思われがちで、ビジネスモデルもフリーミアムから始まって、儲けられるよう付加価値という概念を作ってきた。

付加価値も概念であり、情報に分類され、無料扱いされがちで。

そもそも、情報と知識といわゆるハウツー、どう違うのか?になってくる。

情報の中に、知識とハウツーが含まれるのが正しくて。
情報自体の表現が内包されるから厄介なのだと思う。

情報をどう表現するのか?
これは、ハウツーであり、更にハウツーに関する知識であるという、厄介さで。
言語的に定義が難しい。循環論的にならざるを得ない。

序数で言うなら、「0番目の」、first(アメリカ英語)とground(イギリス英語)の前をどうするか?に近くて。

たぶん、正解はなくて。
アメリカ英語とイギリス英語で異なって良くて。
日本政府は、各国の決定を教科書なりで記録して、国民に普及していくだけ。